生活保護は「現物給付」より「現金給付」のが優れているのはなぜか。理論から実証、その欠点まで

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生活保護の現物給付と現金給付においては、なぜ現金給付のほうが優れているのか

 

生活保護制度の悪用が取りざたされていますが‥‥

生活保護を受けるような貧しい人々に対し、現金を給付するのか、それとも現物給付(サービスそのもの)をするのか、どちらが望ましいのかという話がある。

そもそも「現物給付」と「現金給付」は、次のように分別される。

 

【ポイント:現金給付と現物給付の違い】

・現金給付:そのまま現金を渡すこと。現金の使い道はもらった人が自由に決めてよい

・現物給付:診療や検査、投薬、入院など「医療サービス」や「食料」など、サービスそのものを渡すこと。

アメリカで広く採用され、日本でも大阪において社会実験が行われた「フードスタンプ」や「バウチャー」は、金銭に近い存在ながら大まかな範囲で使途を限定しているので、現金給付と現物給付の折衷案と言える。

 

感覚的には現物給付(サービスそのもの)のほうが良さそうに感じるし、実際、洋の東西を問わず政治的には現物給付のほうが人気がある。

同様に政治家は人気稼業だから、人びとの意見に流されやすく、一時は時代の寵児として首相待望論も多く聞かれた橋下徹氏、そして氏が率いた大阪維新の会も、当然のように現物給付を主張していた。

維新の会、生活保護に「現物支給」検討 不正受給を減らせるのか
橋下徹大阪市長が率いる地域政党「大阪維新の会」が近く公表する公約集「維新八策」に、生活保護の現物支給化が盛り込まれる見通しが明らかになった。現在は現金給付だが、これをクーポン券や生活用品を直接渡す方式に切り換える。不正受給を減らし、生活保護費の増大を抑えることが狙いだ。米国では、食料品の現物支給に近い制度が50年近く前...

 

 

ミクロ経済学 による分析では、現金給付が支持される

「ミクロ経済学」というものがある。経済学というと「お金儲けのための学問」というイメージがあるが、実際はそうではなく、現実の資源状況(お金なりなんなり)の下において人々の幸福(効用と呼ばれる)を、どのようにすれば最大にできるのかを数学を用いて考える学問だ。

「限りある資源について、どのように分配すれば皆が幸せになるのかを、数学を用いて出来る限り厳密に考える分野」

と言いかえてもいい。

だから今回のような「限りある財源の中で、現金給付か現物給付のどちらを採用すれば良いのか」など、現実社会を分析する道具として、コレはうってつけのものとなる。

 

そしてミクロ経済学のオーソドックスな分析に従えば、「現金給付(現金配布)」が支持される。ここにおいては、現金給付にすることで、人々(例えば生活保護受給者)の幸福は最大限しつつも、国費を抑えることが可能となることが導かれる。すなわちサービスそのものを渡すより、現金をそのまま渡した方が、効果的かつ効率性に優れているのだ。

 

【ポイント:現金給付と現物給付、ミクロ経済学での分析はどちらが支持されるのか】

・ミクロ経済学による分析では、「現物給付(現金配布)」が支持され、現金をそのまま渡した方が、効果的かつ効率性に優ると結論付けられる

・ただミクロ経済学の分析ではとらえられない「穴」があるのも確かである

 

しかしながら、ミクロ経済学の分析にも穴がないわけではない物事には効率性以外の側面があるからだ

 

 

現金給付の(直感的にわかる)欠点、2つ

冒頭に書いたように、一般的な感覚としては次のような点で現金給付が嫌われ、現物給付が支持されることが多い。次の2点が主な理由としてあげられる。

①:生活保護をパチンコに使うことは人々の支持を得るのか

これは生活保護に対する批判としてよく言われることだが、例えば生活保護費のお金でパチンコ通いや競馬通いは認められるのか。

一方で「そんなの、お金を何に使おうが本人の勝手でしょ」という声があり、確かにその通りだと個人的には思うけれど、現実問題として生活保護費の使い道に寛容になれない人は多く存在し、その場合は民主主義の制度上、現金給付制度の継続が困難になる。

 

ただ、これはそもそもにして藁人形論法、すなわち「貧困者に対する差別意識が原因のデマ」である可能性もある。くわしくは後述するが、「生活保護をもらってもパチンコや競馬などの遊興費やぜいたく品の購入品に用いることはそれほど多くない」ということが多くの実証研究で明らかになっている

 

②:制度を悪用する人間が出てくること

例えば現金を給付する場合、もらったお金は何にでも使うことは可能だから、お金を目当てに「当たり屋」のような人が出てくることは否めない。

すなわちお金を目当てとして、わざとケガをする人が出てくるかもしれない。

 

 

不公平感と制度

もともと戦中期において生じた「苦しんでいる同胞を助けてあげよう!」なる感情がもとになって生まれたのが現在の社会扶助なり公的扶助なのだから、制度を悪用なり本来の適正な使い方をしない人が出てくると、不公平感を生み、社会扶助システムそのものが不可能になることは十分に考えられる。

現実、「不公平感」をバカにすることはおろそかにできず、それを蔑ろにすることは制度そのものを破滅させるケースが多い。

 

『近代国家において革命が生じるのは、警察権力の不当な乱用と課税権力の濫用である』とはよく言ったもので、税金の使い道に対する不公平感が元でシステムがひっくり返ってしまうのは、フランス革命など各種革命、ユーゴスラヴィア内戦など各種戦争・内戦、独裁政権の転覆など枚挙にいとまがない。

なお筆者が最近読んだ『独裁者のためのハンドブック』という本においても語られるのは、結局、「金の切れ目が縁の切れ目」ということだった。独裁者は権力維持のために「仲間」への金集めに苦心する。

 

 

革命まで大規模なものでなくても、日本含め先進国に共通してみられる「都市と地方への格差を抑えるための国税 (地方交付税交付金) 使用に対する都市市民の不満」や、「定期的に発生する公務員叩き」の背景に不公平感があるのは確かだろう。

【ポイント】

・お金の恨みは怖い

 

 

実際は、生活保護費を「ぜいたく品」に使う人は少ない:研究結果

ところで最近の実証研究が示すところでは、実際のところ生活保護費をタバコやアルコールなど「ぜいたく品」「嗜好品」の購入に使う人は少ない

例えば世界銀行のデイビット・エバンス、スタンフォード大学のアンナ・ポポバ両氏が19の計量研究をメタ分析したところ、公的扶助など現金給付において、「ぜいたく品」「嗜好品」の購入増は認められず、むしろ購入減(支出を減らす)ことが認められた

なお「メタ分析」とは、統計的分析のなされた複数の研究を収集し、統計学的知見を活かして統合したり比較する研究法のこと。

http://www.journals.uchicago.edu/doi/abs/10.1086/689575

 

生活保護に関するデマは古今東西、幅広く見られるものであり、例えば80年代のアメリカ大統領・レーガンは州知事時代から「ウェルフェアクイーン(公的扶助受給の黒人マザー)がキャデラック(高級車)を乗り回しているぞ!」との怪気炎をあげていた。

実際問題として、そんな”マザー”が存在しなかったことは、言うに及ばない。が、当時から現在に至るまで、この言葉は一種のスローガンとなってアメリカ社会に定着し浸透している。