フォードとGM①:フォードが広めた大衆社会と、働くことが苦痛になった20世紀。大量生産がアメリカで生まれた理由
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フォードとGM。
現在においても世界に名だたる大メーカーとして君臨する両社ですが、現在の社会構造を形作ったイノベーターとしての役割も計り知れません。
具体的には、フォードは製造システムに革命を起こし現在の大量生産大量消費社会の礎を、そしてGMは現代に繋がる近代的な経営システムの礎を築きました。
この2大メーカーの成功と失敗を通して、20世紀の社会そのものを眺めて行くことにします。今回は第1回目、「フォードによる大量生産時代の到来」。
20世紀初頭、フォードによる自動車大量生産の開始
1886年にゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが自動車を走らせて以来、自動車とは常に金持ちのための乗り物でした。
この状況を一変させたのがアイルランド移民2世のアメリカ人、ヘンリー・フォード率いるフォード・モーターが発売した「T型フォード」。
1908年に発売されたこの車は、作りやすいカンタンな構造、製品の規格化と標準化、流れ作業による生産工程の同時進行、そして作業の細分化と分業化など、とにかく徹底的な生産性の向上と低コスト化が図られました。
・T型フォード

今では何処の工場でも当たり前となっている、流れ作業による大量生産。
これも自動車工場ではフォードが初めて採用したんだ。それまで、自動車は熟練した技術を持つ職人が、ひとつひとつ「生産」していたし、部品も規格化がされてなくて、修理の際は職人がいちいち直していた。

ほええ。

1908年に発売された「T型フォード」の価格は、850ドル。当時、一般的な車の価格は2000ドル以上だったから、どれほどT型フォードが安かったかがわかるね。
なお当時の働く人の平均年収は600ドル。

まだまだちょっと、高いね。
この大量生産に適した高能率な生産・管理方式は「フォードモデル」として、その後、20世紀の標準となっていくことになります。
売れに売れた「フォード車」
フォードの車は安い本体価格に加え、運転もカンタンだったため爆発的な普及を見せることになります。
初年度に1万台が製造されたこの車は、生産が終了する1927年までにおいて、総生産台数は1500万台以上に到達しました。

1927年にはアメリカ全世帯(2340 万世帯)のうち、約80%(1900 万世帯)が自動車を所有することになった。
ちなみに、イギリスやイタリアで車の普及率が50%に達したのは1970年代のこと。また1923年にフォードはT型を200万台生産したんだけど、同じ生産台数をトヨタが達成したのは1972年、日産だと1973年だよ。

フォードヤバイwww
労働による「人間疎外」とRage against the machine
しかしフォードシステムの導入の結果、待ち構えていたのは労働の単純化と単調化でした。
資料によれば、1912年においてフォードの離職率は400%。欠勤率は10%を超えています。

大量生産を可能にしたこの「フォードモデル」だけど、問題が無いわけじゃないんだよ。

どういうこと?

例えば考えてみなよ。それまで、車というのは熟練工の人が初めから終わりまで作るものだった。それが流れ作業では決まった作業だけをひたすら繰り返すことになる。
熟練工時代と流れ作業時代、働く人にとってはどっちがやる気が出ると思う?

そりゃ熟練工時代でしょ?
一からモノを完成させる喜びや、自分の意志で「作っている」って感覚が味わえるし。今でも農業はそんな感じだよね。
一方、決まった作業だけをやるとなると、同じことの繰り返しでその行動が何を意味するのかさえ分からなくなるなあ。

そう。フォードモデルは大量に安く作るのには適しているけれど、働く人にとっては結構キツい。
鎌田慧ってルポライターの人が、期間工として体験したことを書いた『自動車絶望工場』って本があるんだけど、その本を読むと自動車工の大変さがよくわかるね。
1日中立ちっぱなしで、細切れの作業を何百回と繰り返す。考えてはいけない。頭を動かすといろいろと辛くなってくるから。
流れ作業に間に合わせるためとにかく手を動かさなくてはならない。残業は当たり前。腱鞘炎は当たり前。
もちろん現場仕事だから、冬は寒く、夏は暑い。そんな生活から、精神を病んだり、辞めていく人の群れ…。
このような生産制至上システムが浸透するにつれ、労働から人間性が失われてしまうんじゃないかという考えが出てきました。
具体的には「労働における人間疎外」と呼ばれます。むかしむかし、19世紀にカール・マルクスという人がいましたが、彼の哲学的な主張は人間疎外に関するものだといえましょう。


製品を安く売るためには、人件費や製造費を抑えなくてはならないから、このような生産方法にするしかない。だけど…、って感じなのかな…。
・人間疎外の特徴
社会心理学者のメルビン・シーマンは、人間疎外の特徴を次のように挙げています。
・無力性――自分自身の行動を決めることができない(上からの指示にひたすら従う)。
・無意味性――その行動がなんのためにするのか、目的がわからない。
・無規範性――与えられた規則に従う理由や義務を感じる必要がない。
・孤立性――他の人から切り離されて働かなければならない。
・自己疎隔――自分が自分と感じられない。

そういえば昔、ヤマ〇キパンの工場で働いてたんだけど、そのときは正にこんな気持ちだったわ…。
流れてくる柏餅をひたすら葉に包む日々。5分が5時間であるかのように感じられたんよ。あれ以来、ヤマザ〇パンのパンを食べる気持ちは起こらなくなっちゃったよ。美味しいけどね、チーズ蒸しケーキとか。

だから、チャップリンはこのような「人間疎外」が起こるようになった社会を皮肉って、「モダンタイムズ(”現代”って意味)」というタイトルの映画をつくったんだ。1936年のことね。
・チャップリンの「モダンタイムズ」

これ、Rage against the machine(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)でしょ?アメリカのバンドの。ライブでは、チェ・ゲバラの肖像を掲げるイカれた人たち(ほめ言葉)。曲のプロモーションビデオで似たようなの見たことある。
・Rage Against The Machine – Guerilla Radio

あれはチャップリンへのオマージュだよ。
このバンドは名前からして、あたかも人間が機械に支配されているかのような働き方が普通となった、現代社会への反抗や抵抗を訴えているわけ。半分本気、半分ネタでね。
このようなことは、もちろんフォード経営陣も見抜いていました。
そのため従業員のやる気を上げようと、同社は賃金を一般的な日給の2倍以上も高くし、1910年代には8時間労働や最低賃金を導入するなど労働環境の整備にも努めています。
当時、工場労働者は10時間以上働くのが常識。また今では当たり前のようにある最低賃金ですが、アメリカでは1938年まで最低賃金が法律で決められていませんでした。当時のフォードがいかに先駆的だったかがわかります。
(そのほか、賃金を高くすることで内需を拡大させる目的もあった。)

ほええ、フォード凄い。だけど根本的な問題は解決してないよね。。。
アメリカで大量生産が生まれた理由

それにしても、不思議じゃない?

何が?

だって車は元々ドイツで生まれたわけでしょ?なのに、なんでアメリカで大量生産システムが生まれたの?

なるほど。アメリカで大量生産が生まれたのは、その風土によるところが大きいね。現在のアメリカが、ヨーロッパからの移民で出来た開拓国家だということは知っているでしょ?

まあそりゃ。

うん。開拓国家であるアメリカは、元々ドイツと違って熟練労働者が少なく一般の労働力も不足気味だったから、すでに20世紀より前から機械の利用が始まっていた。
18世紀末にはすでに発明家、イーライ・ホイットニーによる軍用銃の大量生産が始まっていたんだ。

「銃」ってところが、アメリカらしいね。

1861年から起きた、アメリカが北部と南部に二つに分かれて戦った南北戦争では、大量生産による銃器や火砲が用いられているよ。
南北戦争は、本格的な武器が使用される一方で、医療がまだ発達していなかった頃のものだから、戦死者数が非常に多いんだ。

アメリカ兵士の戦死者が最も多い戦争は、第一次世界大戦でも第二次世界大戦でもなく、南北戦争なんだね…。
・アメリカ兵士の戦死者
南北戦争:62万人
第2次世界大戦:29万人
第1次世界大戦:11万7000人
ヴェトナム戦争:5.8万人
朝鮮戦争:5.4万人
独立戦争:1.2万人
・南北戦争を描いた絵画

あとは製品に、美しさより実用性が求められるお国柄ってのも大きい。
これは何もない厳しい大地を切り開いた開拓国家だから、製品に芸術性とか美しさとかを言ってられなかったっていう、切実な側面があるからだね。
とにかく何より「役に立つか」。これは「プラグマティズム」って言うのだけど、この発想は、今もアメリカ社会の根底に流れていると言って良いよ。

大量に作ることを求めると、どうしても美しさは二の次になりやすいんだけど、プラグマティズムの価値観のもと、消費者が納得して買ってくれた。
フォードにしても、大量生産し、安く売るためデザイン的にはシンプルで武骨な「モデルT」ただ1種だけをひたすら作っている。
それでも爆発的に売れたんだ。ただこれは後に、多くのモデルを展開するGMにフォードが追い抜かされる原因にもなるね。

なるほど。かの海原雄〇先生も、「アメリカの食べ物には美しさが無い。家畜の食べ物だ」ってdisっているしね。
あと労働力っていうと、ドイツの「ギルド」は関係あるのかな。

いい質問だね。
そう、これまで説明したのは生産する側、買う人側の事情だったけど、働く人の事情もあるんだよね。
すなわち車が生まれた国、ドイツではギルドと呼ばれる手工業者の同業組合があった。ギルドでは、職人は弟子として親分の下で働くもので、実際、ベンツでもダイムラーでも、1つの車を組み立てる際は親分が取り仕切るものだった。
この生産システムが大量生産と相性が悪いのはわかるよね。
だってギルドの親分からすれば、流れ作業による大量生産制なんてものが根付いたら自分の仕事が奪われてしまう。だから、ギルド制が残るドイツでは労働者がこの新しい生産システムに抵抗するのは当たり前。そのため大量生産制がなかなか根付きにくかったってのがあるんだ。
もちろん最終的には、ドイツでも大量生産制が広まっていったけどね。

一度出来上がったシステムを変えることの難しさ。なんか現代の日本にも通じる話だなあ…。
今回の話はここで終了です。
次回はいよいよ、世界に誇る近代的な企業組織の礎を築き、自動車メーカーの王者として長らく君臨したGMが登場します。