『ノーカントリー』のあらすじと解説。ロマン主義・神の消失・旧約聖書との関連性
◆登場人物
ウェリン・モス(演=ジョシュ・ブローリン)・・・主人公。ベトナム帰還兵。麻薬取引を目撃したことで、殺し屋に追われることに
エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)・・テキサス州南部の保安官
アントン・シガー(ハビエル・バルデム)・・・モスを追う殺し屋
カーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)・・・賞金稼ぎ。シガー同様に金の行方を追う
カーラ・ジーン(ケリー・マクドナルド)・・・モスの妻
◆あらすじ
①:起
時は1980年。
テキサス西部の田舎町でプロングホーン狩りをしていたベトナム帰還兵のモス(演=ジョシュ・ブローリン)は、偶然、麻薬取引の難航から銃撃戦に発展した殺人現場に遭遇する。
多数の死体が横たわる中、麻薬を積んだトラックの運転席で重傷を負っていたメキシコ人を発見したモス。彼の問いかけに対してメキシコ人の返答は息絶え絶えに「アグア」(スペイン語で「水」)と発するのが精一杯であった。
モスはその場から立ち去った先の木陰で、傍にあった男の死体の横に200万ドルの札束が詰まったブリーフケースを発見し、危険を承知で自宅に持ち帰ってしまう。
一度は帰宅したモスだったが、水を欲しがっていた運転席の男の安否が脳裏によぎり、水を持って現場へ引き返す。だが彼の姿はすでに無く、さらに現金の行方を追うメキシコのギャングたちに見つかってしまう。
なんとかその場は逃げ切ることができたものの、現場に置き去りにした車から身元が割れてしまったモス。ギャングたちの命を受けた殺し屋・シガー(演=ハビエル・バルデム)に追われることに。
シガーはためらいなく殺人を繰り返す冷酷非情な人物であった。
②:承
モスは自身と妻の身の危険を察知し、妻カーラをバスで実家に帰した後、モーテルに身を潜めていた。しかし金の入ったブリーフケースには発信器が設置されており、シガーに滞在場所を発見され銃撃にあう。絶対絶命の状況であったが、シガーがメキシコ系の別の追っ手と交戦している隙をみて逃げ切ることに成功する。
次の滞在部屋でモスは発信機の存在に気がつき、それを逆手に取ってシガーを返り討ちにしようと試みるが、激しい銃撃戦の末どちらも重傷を負うことになってしまう。
シガーが傷の治療に時間を費やしている間にモスは国境を越えてメキシコへと逃亡し、金を隠して入院する。
金とモスの行方を追う中で、シガーはモスを追跡する中で次々と邪魔になる人間を殺害し、ついには雇い主の一人を殺してしまう。
シガーを雇った人物は危機感を募らせ、賞金稼ぎのウェルズにシガーの始末を依頼する。ウェルズはモスの居場所を突き止め、金と引き換えに、モス自身と妻の身をシガーから守ると交渉したが、モスの却下により不成立となった。その後ウェルズはシガーによって殺害される。
一方保安官のベル(演=トミー・リー・ジョーンズ)は、モーテルに残された手がかりからモスとシガーの行方を追い続けていた。
③:転
モスはカーラに金を渡そうとアメリカへ戻ってきた。
彼女に電話をかけ、彼女の母親とエル・パソのモーテルで落ち合うよう打ち合わせをする。またモスの同行を聞きつけたベルもエル・パソに向かうが、モーテルに到着する直前に銃声を聞き、現地に着くとモスはすでに殺害され、金は消えていた。
後日、ベルは己の無力さを痛感し、元保安官であった叔父と会って引退の意を話す。日々凶悪化する犯罪を理解できずに苦しむ心境、そして保安官としての不甲斐なさを語るが、劣悪な犯罪が巻き起こるこの土地では、以前から個人の力などは微力でしかないと諭すベルの叔父。
一方その頃シガーはカーラの家に居た。モスとの交渉でカーラを殺しに来た旨を伝えながらも、コイントスで彼女の生死を決めると問いかける。カーラはその賭けを断り、結局シガーは彼女を銃殺するのだった。
カーラの家を出て運転し去ろうとするシガーだったが交通事故に遭い、頭部から出血し左腕を骨折した。シガーは重傷を負い生き絶え絶えとなりながらも、目撃者に口止めを渡し警察が到着する前に姿をくらまそうとするのであった。
④:結
引退したベルは昨晩見た夢を妻に話す。
ベルが見たその2つの夢は、どちらも父親が出てくる夢だった。1つめは今のベルの年齢より20歳も若くして死んだ父親からお金をもらったが、それを無くした夢。もう1つは昔に戻ったような夢であり、父親と2人で寒い夜中に馬に乗り、雪が積もる山を越える夢。
毛布を巻きつけた父親はうなだれながら進み、何も言わずにベルを追い越していった。しかしベルは夢の中でもわかっていた。親父が先に行き、闇と寒さの中のどこかで火を焚いていること、そして行く先に必ず彼がいることを。
◆『ノーカントリー』の解説。ロマン主義・神の消失・旧約聖書との関連性
①:タイトルの意味。科学の発達と、その反動としてロマン主義が成立した19世紀
本作の原題は”No country for old men” で、これはアイルランドのロマン派詩人・イェルツ(ウィリアム・バトラー・イェイツ:1865年 – 1939年)が、うつろう都市ビザンティウムを題材に書いた詩から取ったもの。
イェイツが生まれた19世紀とは、科学と啓蒙主義・理性主義が勃興し、合理主義が我が物を利かせようとし始める時代だった。
科学文明が私たちの社会や生活を豊かにするのは明らかなのだけど、その一方で価値や倫理と没交渉的で合理主義や理性主義一辺倒な科学・啓蒙主義により失われるものがあるのもまた確かで、結果、19世紀においては科学と同時にその反動としての「ロマン主義」が巻き起こる。
このロマン主義では、感性や直観、情緒や愛など、通常文明社会において非合理的なものとして退けられているものがテーマとされることが多い。
”No country for old men”という詩は、正にタイトルからしてロマン主義そのもの詩である。
すなわち合理主義が息づく世界においては、通常生産力や労働力が衰える老人は「役に立たず」「価値の低い」ものの筆頭とされるが、イェイツの詩においては、「時代の変遷により衰え、役にたたなくなってしまった老人」と「かつて繁栄したがいまは衰亡する都市・ビザンティウム」がオーバーラップさせられている。
なお強い儒教の影響下、年上を大事にする文化がまだある日本と違い、本作が製作された合理主義の国・アメリカでは、老人が邪険にされる状況というものが本当に色濃いらしい。
先日、進化生物学者ジャレド・ダイヤモンドの科学エッセイ『昨日までの世界』という本を読んだのだけど、この本では、わざわざ章立てて「現代の西洋社会において老人の価値がいかに低く見られているか」が記されていて、思わず「うへぇ」とうなってしまった。
そういえば、年老いた人間の衰亡を資本主義的な労働の下で合理的に処理しようとする「老人ホーム」という施設はアメリカがその発祥なのだけど、それも納得である。
くわえて科学時代の到来というのにはもう一つ重要な点があって、それはそれまで西洋社会の人々の根本的精神としてあった「神」の概念が疑われ(理屈づけて考えれば、神など存在するわけがない)、ニーチェ風に言えばいわば「神が消失するようになった」のだけど、それもこの映画においては最終的に意味を持ってくる。
②:コーエン兄弟のほかの映画との類似点。旧約聖書がモチーフのストーリー
あらすじにもあるように、本作はギャングの麻薬取引にたまたま出くわし、お金を手にしてしまった主人公が、それを追う殺し屋からひたすら逃げ時には殺し屋に立ち向かうというものだ。
この「迫りくる困難を、なんとか切り抜けていこうとする主人公」という構図は、アメリカ人が好きなストーリーの典型=旧約聖書「ヨブ記」がモチーフであるし、同時に本作の監督であるコーエン兄弟の過去作『ファーゴ』『シリアスマン』などを思い出させる。
なおコーエン兄弟はユダヤ系の人である。
それにしてもコーエン兄弟のみならず、アメリカで評価を受けている映画監督の作品はこの「ヨブ記」がモチーフとなっているものが多い。
これは開拓の地が出発点で、自主自律を基調とするアメリカ人の根本精神「セルフメイドマン(おれはやればできる)」に、ほどよくマッチしているのがヨブ記だからなのだろう。
③:神が消失し、人間に生きる意味がなくなってしまった現代
圧倒的な能力を誇示する殺し屋・シガーの魔の手を潜り抜け、数々の困難に立ち向かっていた主人公だが、物語終盤、唐突にあっけなく殺される。
それは具体的な殺害シーンもなく、死体となって発見されても彼の死は淡々とこと描かれるため、見ている側としては唖然とする。
ここら辺りの呆気なく人が死んでいく描写は、いかにもロマン派が生まれるようになった時代、すなわち「合理主義により神が消失し、結果人々の生きる意味を与えてくれていた存在が消え、人間の生命の価値が限りなく消失した現代」を象徴していているようで、味わい深い。
④:殺し屋・シガーの大事故の意味
そしてそれは、映画全編で主人公に対しあたかも人智を超えた存在(=神)のように振舞ってきた殺し屋シガーが、映画の最後、交通事故であっけなく瀕死の状態となることからも再確認できる。
超越的な存在であるかのように見えたシガーですらも、結局はただの人間でしかなかった。
現代において人間の生に意味はなく、そこにおいては虚無(生きることはむなしい)の深淵しか覗けないのだ。
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