学校は、構造的にいじめが起きやすい。夏休み明け、学校に通うのが辛かったら逃げよう

教育
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夏休み明け、学校に通うのが辛かったら逃げよう。学校という、競争といじめを煽る装置

 

8月下旬、毎年この時期になるとなんとなく心苦しい。

なぜなら内閣府の調査によれば、毎年9月1日を筆頭に8月31日、9月2日は「子どもたちの自殺」が増えるというからだ。すなわち毎年この時期が、1年で最もお子さんの命が失われることになる。

 

こう書くと、「どうせ私の気持ちなんかわからないだろうに、お前に何が分かるのか」と言われるかもしれない。
確かにわからない。

ところで、いじめ自殺は小学校や中学校で多いとされる。自分も小・中学校時代、いじめを受けたことはあった。

しかしそれは長くても、2~3週間のものが単発的に続く程度のものだった。それでも中学の頃などは、クラス生活=自分の人生の全てであると思ってしまうような閉鎖的な状況の中にあるから、たとえ短い期間といえど、いじめを受けた際は非常に日々が非常に億劫だったし辛かった。こうして今生きている自分は、たまたま運が良かっただけだなと感じる。

それでも自分が受けたそれは、いじめが元で自殺してしまった人が受けたものほど長い期間に渡るいじめものではない。結局のところ、自分にはいじめ自殺をしたいと望む人々を理解できないだろう。

それでも、できるだけ理解できるように努めたいとも思う…。

◆◆◆

 

学校とは何のためにあるのだろう。

説によれば、教育とは人間を兵士にさせるためにできたという。すなわち、学校で子どもを訓練し、規律をたたき込むことが目的だった。

学校において、今も軍隊的な行動を子供に取らせ、教師がやたらと偉そう(特に小学校)で、「軍曹」「教官」みたいなあだ名がふさわしい人物がいたりするのもそのためだ。なおこの教育を担っていたのは歴史の教科書にも出てくることでおなじみのハゲ親父、ザビエルが創設したことで知られるイエズス会だとされている。

 

加えて、いじめの研究を行う学者によれば、日本の小学校や中学校には過度に人間関係の親密さを強要するシステムがあり、それがいじめの増加につながっているという。

人間にはどうしても、合う人・合わない人がいる。

けれどそういう基本的なことを無視して、ただ年齢が同じというだけで、生徒たちをひとまとめにし、朝から夕方まで狭いクラスで、授業から給食、班活動、各種学校行事、掃除、部活動と、さまざまな仕掛けを使って、強制的に生活を集団化させる。無理やり緊密な関係を結ぼうと迫るのだから、ストレスがかかり、いじめが起きてしまうのだ。

 

辛くなったら、時には逃げてしまうことも重要なんじゃないだろうか。

日本では教育=学校というイメージが強いけれど、海外ではホームスクリーニングという家庭学習が一般的で、アメリカでは177万人も利用者がいる(2012年)。

家庭学習での孤独感が嫌な人には、フリースクールというものもある。ただこの国では、「不登校なんて許されない。弱い人間がなるもの」「学校に行かないと未来はない」という意識が強いために、不登校の98%近くがフリースクールに通っていないという

 

いじめから逃げることは恥ずかしくない。

おかしいのはシステム(学校教育)のほうであって、いじめを受ける人のほうでは決してない。学校や教育機関とは競争を煽り、いじめを必然的に生み出す「装置」なのだ。

またこうやって考えると、いじめている人間もある意味一種の被害者だといえる。

 

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