『ぎゃる☆がん2』のドイツでの発売禁止と、キリスト教文化が「性」に対して厳しい理由
「その罪を憎んでその人を憎まず」とは、必ずしも行うに難いことではない。
大抵の子は、大抵の親にちゃんとこの格言を実行している。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
ゲーム『ぎゃる☆がん2』のドイツでの発売禁止騒動
2018年2月、インティ・クリエイツからリリース予定のPlayStation 4/ニンテンドースイッチ向けアクションゲーム、『ぎゃる☆がん2』が、ドイツにてレーティング審査拒否となった。
これは、本作がドイツ国内で販売したり宣伝したりすることが不可能になったことを意味する。要するに、発禁処分である。
『ぎゃる☆がん』シリーズは、ある日いきなりモテ男となった主人公が、女の子たちを眼力(フェロモンショット)で昇天させていくというゲーム内容。少年漫画で人気の「ハーレム漫画」をそのままゲームにしたような、セクシー要素が売りの人気シリーズだ。
・『ぎゃる☆がん2』のプロモーションビデオ
さてエスピン・アンデルセンも指摘するように、ドイツという国は、とりわけキリスト教の影響が強く残る国である。そして一般的に、キリスト教文化は性的なものに対して厳しい。
日本も性に対し厳しいような気がするが、これは明治期になって西洋文明を輸入する中で入ってきた「ピューリタニズム(キリスト教の純潔主義)」の影響によるもので、日本は元々、性におおらかだった。
実際、日本において「わいせつ」が罪とされたのは明治以降であり、売春が罪とされたのはもっと後の戦後のこと。
トロイア発掘で知られるドイツの考古学者・実業家、シュリーマンは江戸時代の日本を訪ねた際に混浴風呂を数多く見かけているし、日本の小説や演劇においては、多くのテーマが恋愛=性愛となっている。またかつて日本の農村には、求婚の風習として「夜這い」が存在していた。
キリスト教と「原罪」
なぜ西洋社会=キリスト教文化は性に対して厳しいのか。少しキリスト教の歴史をひも解くと、面白い光景が見えてくる。
そもそもキリスト教においては、基本概念として「原罪」なるものが存在する。すなわち、神によって創造されたアダムとイブが、神に背いて林檎を食べてしまったことで人間は永遠性を失い、動物などと同様に死すべき罪深いものとなってしまう。ここにおいて人間は、「出産と死」という、終わりのない循環から逃れなくなってしまった、とする。
この場合、性的欲望や性交、セックスといったものは、「出産と死」に直結する邪悪なものにほかならない。だから、性的なものに対する嫌悪感が生まれ、忌避感が生じることになる(ついでに、出産を担う”女性”への蔑視感情も生まれた)。
歴史的に見れば、2世紀ごろにはすでに独身を貫こうとする人が現れ、男性のあいだでの去勢も広まっていた。すなわち天国への道を確かなものにするため、性的なものと関わらない一生を送ろうとした。
教会「生殖目的以外での性行為は禁止な」
その後、歴史的に「聖なるもの」と「俗なるもの」が分けられる中で、「聖なるもの」を担うようになった教会は、人びとの私的生活に立ち入るようになった。
キリスト教圏の多くの国で制定された『贖罪規定書』には、性的な営みを規制するさまざまな規則が記されているが、その規則の多くが、実に厳しい内容となっている。
阿部勤也『西洋中世の男と女』では、贖罪書の詳しい内容を紹介しているが、これが実に興味深い。
例えば134章、
お前は、風呂場で妻と一緒に身体を洗い、あ彼女の裸身を見たか、そして彼女はお前の裸身を見たか。もし見たのなら、パンと水だけで過ごす三日間の贖罪を果たさなければならない。
(注:わかりやすくするため文章を一部改変。以下同じ)
すなわち夫婦間においてさえ、裸身を見てはいけない。
続いて52章、
お前は犬のように背後から結合しなかったか。もしそうしたのなら、パンと水だけで10日間の贖罪を果たさなければならない。
すなわちキリスト教においては、正常位以外は許されない。なお、英語において正常位は”missionary position”と呼ぶ。
禁止事項はこれだけではない。
「婚前交渉」「妻以外との性交渉」など良く知られたところから始まって、「結婚して3日以内」「ディープキス」「楽しみながら」「愛撫」「生殖以外」「昼間」「生理中」「妊娠中」「日曜・水曜・金曜・土曜」「ディープキス」「オーラルセックス」「妊娠中」「祭日」「授乳中」「四句節句中」「降臨節中」「復活祭」「斎日(さいにち)」「教会の中」「子作り以外」「2回以上での性交渉」などなど、とにかくありとあらゆる行為が禁止されており、いやはや一種の爽快感さえ覚える。
禁欲主義の経済合理性
さらに興味深いのは、この禁欲主義が、経済合理的でもあったという指摘だ。
ゆげひろのぶ氏によれば、ゲルマン人の大移動とイスラム勢力の台頭の結果、中世ヨーロッパ人は荒涼とした大地が広がる深い森の中において、自給自足を行なわならなくてはならなくなった。
彼らが暮らすこととなった貧しい土地においては産児制限が必要となり、それが性に対して罪悪感を持たせ、性交渉そのものを禁止する方向へと向かうことになった。
一方、日本などアジアが性に対して大らかだったのは、豊かな水と大地に恵まれ、農業が豊かだったから、と氏はしている。
参考文献:
阿部勤也『西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で』ちくま学芸文庫、2007年
ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』 講談社学術文庫、1997年
ゆげひろのぶ『ゆげ塾の構造がわかる世界史 後編』シュークリーム 、2016年
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