従順な兵士を育成するために創設された「学校教育制度」、現在では既存制度と秩序への盲目的な服従者を生み出す役割を担う

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従順な兵士を育成するために作られた「教育」は、現在では既存制度と秩序への盲目的な服従者を生み出す役割を担う

 

管理下の教室で教科書を広げ

平均的をこよなく愛し

わずかにあるマネーで誰かの猿真似

それが僕たちの世代です

・Mr.Children『タイムマシーンに乗って』

 

義務教育は、兵士を作るために導入された

日本の義務教育はプロイセン(現ドイツ)を参考にしたものだ。プロイセンにおいて、その起源は18世紀にまでさかのぼる。

フリードリッヒ2世が1763年に発した法令では、5歳~13・14歳までを就学期間と定め、学校の授業時間、授業料教科書、教育課程など、細かい部分にまで及ぶ規定が盛り込れている。

この義務教育導入の目的は、国家の安定発展のため若者を国に従順な兵士として育成することにあった。軍隊的な行動を子供に取らせることは現在でも幅広く行われているが、理由は同じく子どもを従順な存在へと作りあげることにある。

 

この時代、兵士の担い手が傭兵から市民を中心とする常備軍へととって変わった。「愛国心」を持って戦う常備軍は、カネ次第でどうとでも転ぶ傭兵よりもとにかく強かった。

その典型がナポレオン率いるフランスであり、プロイセンも1806年に同国に敗れている。それによりプロイセンの義務教育はより一層強固なものになるが、現在の私たちが当然と受け止めている学校教育の特徴の多くは、このプロイセンの学校で導入されたものだ。

習熟度を度外視した学年単位の教育法、古代ギリシャのような教師と歩き回るのではなくただ一方的に行なわれる形式的な教授法、ベルの音で区切られた学校の一日、あらかじめ決められた時間割、1日に1教科でなく数教科学ばせるなどなど、その特徴は、若者を「市民」ではなくナポレオン相手に戦う「徴集兵」候補に育てたいとするのなら、非常に理にかなっている。

 

あらゆるすべての学校の管理において、すべきことは国家のためであることを忘れてはならない。決して生徒のために行なうものではないのだ。

初代文部大臣 森有礼の言葉(筆者現代語訳)

 

思想家のM・フーコーは、西洋の近代国家が何よりも戦争に最適化した暴力装置であることをいち早く指摘していたが、その指摘は間違っていない。

すなわち公教育とは、軍人を作り上げるために作られた。競争を煽るその性質は、今も脈々と受け継がれている。

 

学校教育が制度を固定化し、既存秩序の服従者を生産する役割を担う

また教育が、生徒による「主体活動」ではなく、学校においてただ一方的に「教授」されるものになると、どうなるのか。

文明批評家のイヴァン・イリイチは現代社会(近代)における教育について、次のように述べている。

生徒は教授されることと学習することを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる。

『脱学校の社会』東京創元社

 

 

イリイチが指摘するように、学校教育がただ唯一の教育法となると、そこには「価値の制度化」が生まれる。

 

すなわち学校教育において、学ぶことを学校が独占し、そこで教師や教授による情報の一方的な伝達が行われるようになると、いつしか学ぶことに対し自然と受動的な態度が生まれ、それを当然とみなしてしまう。自らが主体的に能動的になって行う「学び」が失われてしまう。

「学校」に行っていれば「学び」をしているかのような錯覚、これは現代においては至るところで見られる。学校をきっかけに、価値の倒錯がスムーズにそしてあらゆる場所で受け入れられてしまう。

イリイチはこれを「社会の学校化」と呼んだ。

 

彼の想像力も『学校化』されて、価値の代わりに制度によるサービスを受けるようになる。

医者から治療を受けさえすれば健康に注意しているかのように誤解し、同じようにして、社会福祉事業が社会生活の改善であるかのように、警察の保護が安全であるかのように、武力の均衡が国の安全であるかのように、あくせく働くこと自体が生産活動であるかのように誤解してしまう

 

ついぞ人びとは、既存制度への盲目的な安住と安寧を望むようになる。

すなわち、「病院に行くこと」と「心身の健康」とを、「警察による保護」と「安全」を単純に結び付け、真の学習、健康、安全への配慮はお構いなしに、現に存在する制度への盲目的な服従者となる。既存秩序をただひたすら保守していくことに対し、いささかも疑念を持たない存在となる。

 

「学校」や「大学」といった教育制度には、既存制度の保守的役割を担う、そのような一面があるのだ。