大学生の自殺と就活とイニシエーション

社会
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科学的に、大学生で自殺発生の男女の差は「ある」といえるか?就活デモと奨学金破産

 

つまり、わからないのです。

隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。

プラテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍など、吹き飛んでしまうほどの、凄惨な阿鼻地獄なのかもしれない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか?

太宰治『人間失格』

 

個人的な話から始めて申し訳ないが、大学生の時、親しい友人が複数人、自殺で命を絶ってしまった。

 

彼・彼女らはなぜ自死を選んでしまったのだろう。当然のことながら、その理由を知る術は、もはや残されていない。

 

とはいえー。

自殺にまつわる諸々の実態を丹念に見つめることで、少しは何かわかることがあるのではないか。

そしてそれが少しでも彼・彼女らの苦しみの元凶を知り、なにもできなかった無能な自分における、わずかながらの贖罪となるのではないか…。

そんな気がしている。

 

◆◆◆

 

世間巷間のイメージとして通念されるように、一般的に、男性のほうが女性より自殺しやすい。

これは大学生においても同様であり、その自殺率には、男女で差が見られる。明らかに男子学生の方が自殺率が高い。

 

「明らか」と記したが、この男子大学生の(女子大学生に対する)自殺率の高さは「単なる偶然」なのか、それとも「科学的裏付けがある(有意差がある)」ものか、どちらだろうか。

 

先に結論から言えば、やはり科学的裏付けがある。

大学生に関する21年間の調査から見るに、「科学的裏付けがあるもの」となっている(χ2検定 P<0.01)。

 

・専攻別、大学生男女自殺率(学生10万比)

注:

「↑↑」「↓↓」 は、χ2検定・p<0.01・1%水準で有意に多い、少ないを示す

「↑」「↓」 は、χ2検定・p<0.05・5%水準で有意に多い、少ないを示す

各学部の表記は次の通り。「文」…文系全般、「理」…理系全般、「医」…医学部、「獣」…獣医学部、「歯」…歯学部

 

◆◆◆

すなわち、「男子大学生のほうが自殺しやすい」と科学的にも言える。とはいえよくよく見ると、明確に差があるのは文系学部だけで、理系の各学部においては微妙なところでもある。

 

くわえて男女差と同じく違いが生じるのが「大学学年における違い」だ。これは4年、5年といった学年で文系理系とも有意に多い。

 

注:

「↑↑」「↓↓」 は、χ2検定・p<0.01・1%水準で有意に多い、少ないを示す

「↑」「↓」 は、χ2検定・p<0.05・5%水準で有意に多い、少ないを示す

 

これを見て、そういえば数年前、北海道大学生が「就活デモ」なるものを行ったことを思い出した。

これはその名の通り、「就職活動」というシステムを批判したものだが、その内容の一つに「就職活動においては、大卒時点で正社員になれないと、その後の挽回が難しい。一発勝負を呼ぶ不条理なシステムだ」というものがあった。

 

これはその通りで、実際「烙印(らくいん)効果」というものが知られている。実証研究が示すところでは、個人の能力関係なく、労働人生の初期段階において失業を経験すると、その後の人生においても失業を経験しやすい。

日本でも就職氷河期の世代「ロスジェネ」の苦しみは、よく伝えられるところだ。

 

◆◆◆

考えてみれば、およそ全ての若者が受ける「大人になるための儀式」、要するに”イニシエーション”として日本社会で作用していたのがこれまでの「就活」なのかもしれない。

仮にそうだとしたら、その儀式を通過できなかった人物においては自尊心が大きく傷つけられ、そしてその人は「社会のつまはじき」と自己認識してしまい、ひいては自殺につながるというプロットは、ありえなくなさそうである。

というか自分自身、就活に思い切り失敗して苦しい苦しい苦しい思いをしたのでよくわかる。

 

◆◆◆

もちろんここまで言ってきたことは、現実をかなり雑に捉えていることは否定しない。『自殺のない社会へ』など、自殺に対する実証研究結果を見る限りでは、自殺への誘因効果に対しては数十種類以上あるようである。

自然言語(NOT数理分析)で論を展開すると、どうしても話が雑になってしまうのは否めない。

 

◆◆◆

ただ一つ知っておいてほしいのは、およそすべての事象がそうであるのと同様、就活制度にも「功罪」があるということだ。

確かに、就活の「罪」の一つとして先ほどの事柄はあるかもしれない。しかし「功」として「若者の就業率の上昇」がある。常に若者の失業率が高いヨーロッパやアメリカ社会が典型例だが、就活制度の無い世界というものは結局、スキルの無い若者と熟練スキルを保持する中高年が労働市場においてガチでぶつかり合う世界だから、どうしても若者が職にあぶれやすくなる。

そのような功罪ある中で、就活制度の是非を決めるのには判断が分かれるところである。

 

ただどちらにしろ、就活制度は年功序列型賃金や会社でのOJT教育を基礎とする日本的経営の上に成り立っていた。その日本的経営が崩れ人的リソースに資源を避けなくなる企業が増える中、今後「就活」は否応なしに廃れていくものなのだろう。

宇多田ヒカル – 花束を君に

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