最初の就活に失敗した人は、その後の人生でも低賃金に悩みやすい。「烙印効果」と「自己責任」

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「自己責任」の名の下、社会問題が個人の責任に帰せられる21世紀と「烙印効果」

 

この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。きっとやり遂げられるという希望が岩を押し上げるその一歩ごとにかれを支えているとすれば、かれの苦痛など、どこにもないということになるだろう。

アルベルト・カミュ 『シーシュポスの神話』(新潮文庫)

 

「烙印効果」とは何か

烙印効果(らくいんこうか)なるものがあります。これはなんでしょうか。

 

経済学者カーンの研究によれば、失業率の高い時期に就職した人は低い時期に就職した人に比べ、最大で20%ほど賃金が低くなります。

同様に、経済学者ボウラスの調査によれば、労働人生の初期段階において失業を経験するとその後の人生においても失業しやすくなるものに。

 

要するに、「低賃金」や「職歴なし」という”烙印”が一度押されると、それがいつまでも個人の属性としてまとわりついてしまう。それゆえ「烙印効果」と呼ばれるわけです。

 

偶然的な要素から一度つけられた差によって、いつしか取り返しもつかないほど差が広がっていく。ここに新約聖書の「マタイ福音書」を見出すことはそう難しくありません。

「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」(マタイ福音書 第13章12節)

 

ここにおける問題は、低賃金や失業などといった憂き目にその人がひとたびあうと、それらが就業人生で何十年もの長きに渡って続くということにあります。

当然ながら、卒業時期の失業率は個人の能力と何の関係もない。だから、仮に労働人生の初期において不況などで思うような仕事に就けないものだとしても、本来、好況になれば状況は改善されるはず。しかし実際はそうはなりません。

日本でも就職氷河期世代の「ロストジェネレーション」の状況は、良く知られるところでしょう。

 

人間は偏見に満ちた愚かな生き物だから、「好況不況」「運」わなかった」など【外発的要因】から生じたはずの賃金の低さを、いつしか「個人の能力」など【内発的要因】に見出してしまいます。そしてそれが、その人のスティグマとしていつまでもまとわりつくこととなってしまう…。

天が舞い降りて悪戯に楽しむのか?
全てが平伏すまで
荊にまみれたこの血が枯れ果てても
貴方への心を抱いて

ラルク アン シエル『いばらの涙』

L'Arc~en~Ciel – ibara no namida

 

「自己責任」という言葉が盛んに叫ばれるようになった2000年代

烙印効果が深く示唆するところは多々ありますが、中でも「社会的な問題が、いつのまにか個人への問題へとすり替えられてしまう」ことは大きいのではないでしょうか。

 

先の話で考えてみると、失業率の高低というものは個人の力でどうとなるものではなく「社会的な問題」です。しかし「社会的な問題」のだった低賃金が、いつのまにか「個人の能力の低さゆえの低賃金」へと置き換えられてしまう。

 

雇用・労働、教育、福祉…。考えてみると、このようなことはあらゆる方面で見てとることが可能です。

考えてみると、2000年代前半に登場し、近年盛んに叫ばれるようになった言葉として「自己責任」というものがありますが、これは社会的な問題を個人の問題として置き換える役割を持つものとして、実に都合よい言葉だといえましょう。この言葉によっていったいどれほど、国家の責任が個人の責任へとすり替えられていったことか。

 

「自己責任」。

すなわちこの言葉の出現それ自体が、あらゆる問題が矮小化され個人の責任とされる現代を象徴しているのではないでしょうか。

Sting – Englishman In New York (Official Music Video)
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